言葉(音)は誰かを寿ぐためだったり、治療をするためにあったのではと思うことがあります。
現代では言葉が意味と密着につながって、
複雑な使われ方をしています。
ミタクエ・オヤシンという言葉はどんな些細なことも自分とかかわりをもっているというインディアンのシンプルな言葉です。
~以下引用~
「わたしはひとりの親戚として風に、太陽に、月に話しかける」「われわれは礼拝することもないし、頭を下げることも、ひざまづくこともしない」けれども「わたしはひとりの親戚として木と踊る」「われわれはそのようにして天地創造で生まれたすべてのものと交わる」
すべてとの交流を感じると、環境や自分をおのずと大切にします。
この言葉は自分とつながるすべてを寿ぎます。
そして、寿いだ結果、知らぬ間に自分を治療し、
知らぬ間に誰かを治療することにつながっていくような気がします。
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